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最低の10番

大分や名古屋に在籍している時の金崎の印象は、テクニックがあり、チャラくて、柴崎岳と喧嘩する人。鹿島に加入してからの夢生の印象は、誰よりも走り、大事な試合でゴールを決め、インタビューが嫌いな変人。トニーニョ・セレーゾから石井正忠に、石井正忠から大岩剛に指揮官が変わった激動の3年半でのパフォーマンスは、紛れもなく鹿島のエースと呼べるものだった。

多くのメディアは夢生を「問題児」と呼び、そのメディアが発信するニュースを読んだサッカーファン、特に鹿島アントラーズのことを好ましく思っていない人間は、金崎夢生は自己中心的で我儘で自分勝手で協調性がなくてキレやすい、まさに鹿島アントラーズというクラブを具現化したような選手だと思ったはずだ。

あながち、全てが間違いとも言えない。たった3年半だが夢生と同じ時間を共有し、その実態は自己中心的で我儘で自分勝手で協調性がなくてキレやすく、勝利の為なら何でもやる選手であることが分かった。どんな問題を起こそうと、次の練習ではクラブハウスで笑い転げながら奇声を挙げているようなヤツだった。

かつて鹿島の10番を背負ったジーコ、レオ、ビス、モト、岳とは違い、夢生は鹿島サポーターから嫌われる存在となるだろう。今はまだ嫌うことが出来なくても、鹿島の10番を自ら半年で捨てた存在を嫌いにならないことは、愛するクラブにも愛した選手にも失礼になると思っている。

これからは試合日だからといってカルピスを買うこともなくなり、サントリー商品の売れ行きが良くなるはずだ。LINEの友達リストから1つの公式アカウントが消滅した。月刊ムーをみても、ムーミンもみても、モンスターズユニバーシティのキャップをみても、ニヤニヤすることはなくなるだろう。それでも、2008年から7年越しで叶った夢生の獲得は大成功だった、と思っている。

クラブハウスからあの奇声が聴こえてくることはもうない。それでも、鹿島にはあの奇声を聴いて成長した選手した在籍している。あの奇声を愛していたサポーターがカシマスタジアムで叫んでいる。その声は、きっと届く。最低の10番が鳥栖の選手として初めて鹿島の対戦するのは、天皇杯かリーグ最終節。鹿島史上最高級のストライカーに、鹿島というクラブをみせつけよう。最後に、今までありがとう、金崎夢生。