Kashima Soccer Room

Momosaka

ロングステイ

18歳 前半

ピッチに向けて手を叩く。キックオフまで45分を切った頃、国立競技場のピッチに選手たちが登場してきた。隣の席に座るマサキが「小笠原はどこだ」と騒いでいる。俺は「ほら、あそこで走っている。黒いスパイクの」と小笠原満男がウォーミングアップしている方向を指さして、マサキにその位置を教えようとするが、「あれか。いや、外国人だった」と上手くいかない。「まあ、いいや。試合が始まれば分かるだろ」マサキが諦める。

高校のサッカー部で3年になってもレギュラーを掴めない俺とは違い、マサキはチームの中心選手であり、プロや大学のスカウトも頻繁にうちの高校の練習を視察しに来ている。そんな学校のヒーローのマサキはプロのサッカーについてあまり詳しくないが、今年のお正月にテレビで天皇杯の決勝、つまり鹿島アントラーズが三冠制覇を達成した試合を観て感動したらしく、年明け早々、鹿島サポーターである僕に「鹿島の試合を観に行きたいのだがどうすればいいのか」と相談してきた。「天皇杯が終わったばっかりだから当分ないよ。次は3月のゼロックスかな」「ゼロックスって?」「あんま本気じゃない試合。勝ってもそこまで嬉しくないけど、負けたらすごい悔しい」「それはやだな」「じゃあ、Jリーグ開幕戦かな」「いいね。どこでやんの?茨城?」「まだ分からないけど、カシマは改修工事中だからホームだったら国立かな」「近いじゃん」「開幕戦がアウェイでも2節には国立でやるはず」「じゃあそれにしよう」

2001年のJリーグ開幕戦、三冠王者の鹿島アントラーズがサンフレッチェ広島を迎える国立競技場には空席が目立つ。マサキはゴール裏に行ってみたい、と言っていたが、「ちゃんとサッカーを観るなら、指定席がいいよ。俺たちサッカー部なんだし」と半ば無理やり指定席のチケットを購入したが、それは本心ではなく、ゴール裏に行けば父親と会う可能性があることを危惧しただけだった。

その指定席に座りながら俺は「そもそも今日、よく練習休む許可を貰えたよな」とマサキの方を見る。「ああ、アベタクに言ったら『プロの試合を観るのもいい刺激になるだろう』って」「マサキには甘いなあ」「そうか?」「俺なんて『早川は練習休んでる暇なんてないだろう』って言われたよ」「まあ、それもアベタクの愛だろう」「まあマサキが俺のことも言ってくれたから良かったけど」「まあな。1人じゃ不安だからタクミと一緒に行かせてくださいって頼んだらすぐ許可してくれたよ」「マサキには甘いなあ。

キックオフまで残り15分ほどとなったところで国立競技場の電光掲示板では両チームのスターティングメンバ―が発表され、マサキが「相馬がいない。移籍したの?」と日本代表でも活躍するサイドバックの不在に気が付いた。「怪我してるんだよ」「そうか。代わりは中村?だっけ?知らないな」先ほど買ったばかりのマッチプログラムで中村を探している。「ああ、いたいた。あ、登録はフォワードなんだ」「ん?いや生粋の左サイドバックだよ」マッチプログラムを覗き込むと、中村幸聖を指さしていた。「ああ、こっちじゃなくて、今日出るのは祥朗のほう。小笠原とかの同期だよ」「別人か。フォワードの方は出ないの?」「高卒でまだ2年目だし。これからだよ」「ふーん」「ジーコがクラブに獲得しろって言った選手なんだよ」「凄いじゃん」「そうなんだ。全国的には有名じゃないし、まだ全然試合には絡めてないけど、すごい期待してるんだ」「小笠原よりも?」「小笠原はちょっと別格だけど」小笠原も中村幸聖も、鹿島の明るい未来を作ってくれる存在だと思っている。

試合が始まった直後、鹿島アントラーズはサンフレッチェ広島に先制点を許したが、後半直後に鈴木隆行のゴールで同点に追いつく。すると、後半28分には小笠原満男が美しいミドルシュートを決め、逆転に成功。試合はこのまま終わり、開幕戦でなんとか勝ち点3を獲得した。帰り道、小笠原のことが好きなマサキは「生で凄いの観れて良かったカズ」と喜んでいるが、横を歩いている俺が浮かない顔をしているのに気が付き、「嬉しくないのか?」と顔を覗き込んでくる。「うーん。広島相手に苦戦しすぎたなーと思って。こんなんで年間優勝出来るのかな」「でも勝ったんだから」「まあねー」「開幕戦で広島に0-3の完敗、とかなら分かるけど」「まあねー」「でも俺たちは完敗したほうが、課題がいっぱい見つかって調子出るみたいなパターンあるよな」「ああ、それは確かに。でもプロだし、このあとも過密日程だから。修正する時間がないよ」「そうか。じゃあまあ、勝てただけで良かったじゃないか。それに、もし年間優勝が無理でも2ndステージ優勝してチャンピオンシップで勝てばいいんだろ」「まあねー」

18歳 後半

「まあねー」「でもなー」と先ほどから父親が嘆いている。「仕事なんだから仕方ないじゃない」母親が言うが、その言葉が父親の耳に入っている様子はない。俺にとっては幸運な出来事だった。今年のチャンピオンシップ第2戦、カシマサッカースタジアムで開催される鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田戦のチケットは発売直後に売り切れ、俺も当然のように手に入れることが出来なかった。しかし、それを、どういうルートか無事に入手していた父親が急遽出張に行くことになり、チケットが自然に俺のもとに回ってきた。

「いいか、俺の代わりにいくからには絶対に勝たせて来い」試合前日、父親に言われる。「お前、最近ずっと試合を観て行っても指定席に座ってるだろ」「まあ、そうだけど」「それが悪いこととは言わない。サッカーを知ることも重要だし、良いタイミングでの拍手は選手たちのモチベーションにも繋がる。写真を撮るのも良い。その写真に惹かれた人たちが新たにサポーターになるかも知れないし、なにより自分が楽しめる。でもな、今回はゴール裏のチケットだ。懐かしいだろ。ゴール裏にいるなら声を出して、チームを勝たせろ」俺が声を出しただけで勝てるわけがない、と思うが、久しぶりのゴール裏にワクワクしている自分もいる。しかし、どうも照れくさく、「まあ、応援してくるよ。行けない人の分まで」とそっけなく返事をすると、父親が嬉しそうに頷いた。

まさに激闘だ。試合は間もなく90分を過ぎようとしている。このまま0-0で後半が終われば、延長戦に突入する。ピッチの上では選手たちがこの時間でも元気に走り回っている。隣の座席で試合を観戦している中年男性も「熊谷が凄いな。中田の三倍は走ってるぞ」とピッチ上で一際存在感を放っている熊谷のパフォーマンスを称賛する。中田浩二を比較対象に出せなくてもいいじゃないか、と心の中で思うが、先ほど柳沢敦が決定機を外した際には相手ゴールキーパーのポジショニングを褒めており、愛するが故に鹿島の選手をひたすら貶すようタイプのサポーターではなさそうだ。そんなことを考えている間に後半の終わりを告げるホイッスルが鳴り響く。

90分の戦いを終え、延長戦に向けて準備している選手たちを見ながら、自分も息を整える。夏にサッカー部を辞めたとはいえ、体力には自信があった。しかし、大声を出しながら試合を観ているだけで相当疲れていた。やはり選手はとんでもない、と改めて実感する。そして、延長戦が始まる。最初にビッグチャンスを迎えたのはジュビロ磐田だった。ゴールが入ればその瞬間に試合が終わり、チャンピオンが決まる。ペナルティエリア内、フリーでシュートを打たれた。息が止まりそうになる。しかし、曽ヶ端準が弾き出した。隣の中年男性が「キャッチ出来ただろ」と嬉しそうに呟いている。

サポーター席のどこからか「がんばれー」と枯れきった叫び声が聞こえる。その言葉に乗せられるようにサポーター席のボリュームが一段と上がる。ボールを持った本山雅志がその声援に背中を押されるように、ドリブルで相手陣内に切り込んでいった。「いけっ」と声が出る。その直後、転倒し、笛がなる。ファールだ。いい位置でのフリーキックを獲得した。小笠原満男と中田浩二がボールの側に立っている。決めてくれ、と神様に祈る。小笠原満男の右足から放たれたシュートがネットに突き刺さり、隣の中年男性が倒れ込んだ。