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FIFA架空体験記 第1話~ロンドンの君へ~

2021年2月2日

田舎に住んでいた時は憧れの対象だったロンドンのバスも、慣れてしまえばただの赤いバスだ。その車内の最後尾の座席に腰を下ろした僕はスマートフォンを取り出す。定期的に購読しているニュースアプリを起動すると、【日本のクラブがプレミアリーグに参加決定!!「やばすぎ」「観に行ってみたい(笑)」】とフットボールダイジェスト社が提供しているニュースが真っ先に目に入った。すぐさま、その文字をタップする。フットボールに対して特別な感情があるわけではないが、このニュースに関しては熱心に追いかけていた。

1年ほど前に契約した賃貸アパートの最寄り駅に到着し、僕はバスを降りる。引っ越してきたばかりの頃は、どのドアから降りればいいのかすら悩んだことを良く覚えている。バス停からアパートまでは川沿いの土手を15分ほど歩く必要があるが、普段は大学に通うだけで時間を持て余している僕にとっては、川を眺めながら、のんびりと歩いて帰るのは好きな時間でもあった。

土手道を歩きながら、本日、バスと電車を乗り継いで参加したビートルズのイベントのことを思い出す。アマチュアバンドが次々とビートルズの楽曲を演奏するというプログラムは素直に楽しめた。しかし、最後の激レアアイテムを懸けたじゃんけん大会は悔いが残るものとなった。序盤の大人数での争いを制した僕は、特別じゃんけんに自信があるわけではないが、あれよあれよと勝利を重ね、気が付けば最後の二人まで勝ち残り、壇上に上げられていた。

僕ともう一人、壇上に上げられたのは小学生と思われる男の子だった。ふと会場を見渡すと、こちらを見上げる全員が「空気読めよ」といった目線を僕に寄こしてきているような気がした。ジョンのコスプレをした司会者の男に限っては「さあ、勝者には豪華賞品が与えられますが、決勝戦はここまで勝ち残った二人による直接対戦!相手に譲ってあげたいと思った場合には、後出しで負けてあげることもできます!」と実際に口にして会場の笑いを取った。

僕は悩んだ。確かに自分が第三者の立場だったら、全力に勝ちに行く大人に対して「いやいや。大人気ないぞ」と思うかもしれない。しかし、ビートルズに関しては話が別だ。好きなんだ。この男の子がこの激レアグッズを手に入れ、より一層ビートルズのことが好きになってくれるのであれば、いちファンとして嬉しいことだが、成長するにつれて流行りのアーティストしか聞かなくなる可能性もある。その点、大学生になってもビートルズしか聞いておらず、クラスメイトとも話が合わない僕は将来も安泰だ。高確率で死ぬまでビートルズを愛し続けるだろう。つまり、グッズが欲しい。いつの間にかジョンのコスプレをした司会者が最初はグー、と掛け声を出し、僕は急いで拳に力を入れる。

結局、グッズを手に入れることは出来ず、僕はアパートに向かってトボトボと歩いている。男の子に勝利を譲ってあげた訳ではない。どうせ確率は半々だ、正々堂々と勝負しようと全力でグーを出したところ、何も気負いもない男の子のパーに敗れた。しかも会場からは「あれ、あいつ勝ちに行ったよな」といった目で見られ、逃げるように帰ってきた。その途中、じゃんけん大会の勝者となった男の子がまったく嬉しくなさそうに激レアグッズを受け取り、とても嬉しそうにしている父親のもとに歩いて戻るのが目に入った気がした。

いつもならバス停から15分ほど歩けばアパートに着くが、今日は帰宅まで倍の時間を要している。バスを降りてから20分ほど歩いた頃、つまり落ち込んでいなければバス停から10分、アパートから5分ほどのところで工事中の看板が目に入った。そのすぐ傍にヘルメットを着けた男が立っており、「なにができるんだ?」と声をかける。すると「カフェ」とぶっきらぼうな回答が帰ってきた。「そうか」と呟きながら、これも日本のサッカークラブのせいか、とバスの中で読んだニュースを思い出す。

自宅に到着した。アパートの真横に聳え建っているスタジアムを眺める。アパートに住み始めてから1年ほど経つが、隣にスタジアムがあるからといって騒音問題などに苦しめられたことは一度もなかった。このアパートを紹介してくれた不動産会社のおじさんも「このスタジアムはボロボロで、たまに使われるにしても町内の催しものくらいだから静かでいいよ。ロンドンはサッカークラブも多いけど、こんなスタジアム、どのクラブも使わないから」と言っていた。確かに、フットボールに熱狂する男たちに毎週のようにバカ騒ぎされては堪らないと思い、「絶対?」と聞くと、おじさんは「99.9999%」と答えた。それならと契約したが、1年後、はるばる日本から0.0001%がやってくることになるとは思わなかった。

2021年7月19日

「20-21シーズンからプレミアリーグに参戦することが決まったシカーズだが、本日よりドイツで開催されるプレシーズントーナメントに参加する。同大会にはシカーズのほかに、フランクフルト、マルセイユ、ガラタサライといった欧州の強豪が計8クラブ出場する。大会はグループステージ制で開催され、3試合を戦い、上位2チームに入れば決勝トーナメント準決勝進出となる。シカーズの初戦は今夜、クラブのレジェンドも所属したドイツのシャルケと対戦する。」

近所に出来たカフェでダークモカチップフラペチーノを飲みながら、大学で提出するレポート作成に取り組んでいる。その休憩時間、スマートフォンを触り、ニュースを読んでいると、隣の席に座っていた日本人、思わしき女性に声をかけられた。いかにも英語の猛勉強してきました、といった発音だったので、「日本語で大丈夫。たぶん」と伝える。「え、なんで」「好きなアーティストの奥さんが日本人で」「そうなんですね」「簡単な日本語なら話せる」「凄い。ところでお名前は?」「エリック」と、すっかり慣れたやり取りを終えたところで、「エリックさん、鹿島のニュース読まれてましたよね?もしかしてファンですか?あ、こっちではシカーズでしたっけ?」と疑問文がたくさん飛んでくる。おそらくシカーズのファンで、観光か、もしくは移住してきたのだろう。僕が住んでいるアパートにも日本人が増え、オープンしたばかりのカフェもホームスタジアムに近いことから聖地のように扱われている。

「いや、ファンではない。そもそもフットボールの試合もしっかり観たことはないんだ」と否定する。なんならシカーズには迷惑しているくらいだ、という言葉は胸にしまう。「そっかあ。でも、だったらなんで、うちのニュース読んでたんですか?」「スタジアムの隣のアパートに住んでいるんだ。それで少し気になってな」出来れば圧倒的に最下位になって早く日本に帰って欲しいから情報を追っているんだ、という言葉も胸にしまう。すると彼女は笑顔になり、「そっか。それだったら、これから好きになれたらすごい楽しいですね。スタジアムの隣に住んでいるなんて。ひょっとしてベランダから試合も観れたりして」「2階だから見えないな」「でもスタジアムの空気は伝わってきますね。羨ましい」「君はロンドンに引っ越してきたのか?」「いえ、私は観光です。本当はシーズンが始まってから来たかったんですけど、高くて」「そうか。そういえば今日、ドイツで試合じゃないのか?そっちには行かないのか?」先ほど読んだニュースにそう書いてあったはずだ。「そうなんですよ。旅行のプラン決めてから試合のスケジュールが組まれちゃって」キャンセル料かかるからドイツには行けません、と彼女は笑い、「これからこのパソコンで試合を観るんですけど、一緒にどうですか?」と誘ってきた。僕は当然、「大学のレポートで忙しいんだ」と断り、ダークモカチップフラペチーノに手を伸ばす。

その後、彼女はノートパソコンと睨めっこしながら、時折、独り言を呟いていた。とても早口ではあったが、「起きやばい」「ドイツよい」「ミサを最高」などと聞こえてきた。正確に聞き取れたか分からないし、もし聞き取れていたとしても意味は分からない。提出するレポーターを完成させた僕は席を立つと、彼女がこちらに目をやり、「帰っちゃうんですか?」と聞いてきた。「やること終わったからな。試合は観なくていいのか?」「いまハーフタイムです」「勝ってるのか?」社交辞令として聞いてみる。「勝ってます。2対0です」と彼女が自慢気に言った。強いのか、と少し驚く。すると、彼女も僕の表情をみて「強いんです」と笑う。

「そういえば進撃の巨人って知ってます?」僕はすでにリュックを背負っているにも関わらず、彼女は構わず話しかけてくる。「いや、知らないな。映画かなにかか?」「まあ映画でもあるんですけど、漫画です」「凄いタイトルだ」「日本で大人気なんですよ」「君も好きなのか?」「いや、実はほとんど読んでなくて。難しくて、いつも途中で諦めちゃうんですよ。ただ鹿島、あ、シカーズにゆかりある作品で」「ほう」「で、私、今回の旅で今度こそ読もうと思って持ってきたんですけど、飛行機の中とか爆睡しちゃって」「バクスイ?」「あ、すごい寝ちゃって」「なるほど、すごい寝ることをバクスイと言うのか」「そうなんです」「それで?」「もし良かったら漫画、差し上げます」彼女が自分のカバンから黒い本を3巻ほど取り出し、半場ば強制的に受け取らされる。「日本語の勉強にもなると思うし、これでもっと日本を好きになってもらえるかも」いいのか?と確認すると、彼女はコクコクと頷く。「ありがとう」「8巻から10感までしか持ってきてないんですけど、途中からでもきっと面白いはずです」

「その代わり」コミックを受け取ったと同時に彼女が交換条件を持ち掛けてきた。「今日の夜、Youtubeにこの試合のハイライトがアップされると思うので、絶対に観てください」彼女は自分のノートパソコンを指さしながら言う。「わかった」「そのまま好きになってくれたら最高です」「それはどうだろう」「絶対好きになりますよ。そういうクラブです」「そうか」「それで、もし好きになれたら私の代わりに毎試合スタジアムに行ってください」「代わりに?」「はい。私は日本からパソコン越しに応援してますけど、負けちゃったときとか、ああ私が言って叫んでれば勝てたのかな、とか後悔することになると思うんですよ」「一人の応援で結果は変わらない」「気持ちの問題です。でも、もしエリックさんが私の代わりにスタジアムで叫んでくれてると思えば、例え負けてしまっても少しは納得できます」「そんなものか。まあ、機会があればな」「絶対あります」それじゃあ、と別れを告げようと、コミックを持ったまま手を上げると、本の中から青いカードがひらひらと落ちた。「あ、挟まってたんだ。発見してくれて助かった」と彼女は言い、僕がそのカードを拾い上げて彼女に渡そうとしたとき、カードに「Yoko」と書かれているのが目に入った。「ヨーコ?」と思わず声が出る。「あ、はい。陽子です」と手を上げた彼女は続けて「それじゃあ、シカーズをお願いします。とりあえず、ハイライト見てくださいね」と言った。ヨーコのお願いじゃ断れないじゃないか、と思いながら「バクスイしてなければな」と先ほど覚えたばかりの言葉を使う。

アパートに帰り、ヨーコからもらったコミックを読んでいるうちに、気が付いたら夜になっていた。最初は8巻から読んでも内容が分かるのか、もし分かってもそんな漫画面白くないのでは、と不安に思っていたが、想像以上に楽しんで読むことが出来た。

読了後、続きが気になるので、ノートパソコンの電源を入れ、電子書籍でコミックを買うことにした。1巻から買うか、11巻から買うか、英語版を買うか、日本語版を買うか悩んだが、せっかくなので日本語版の11巻を買うことにした。日本語はところどころ意味が理解できない箇所があったが、その度に調べてなんとかついていけている。日本語版のあとに英語版で1巻から読み直すのも楽しいだろう。その買い物を終えた後で、そういえばハイライトはもう上がっているのかと気になり、購入した11巻を読む前に「Shikers」と検索した。すると、おそらく公式と思われるアカウントが1時間ほど前にアップしたハイライト動画がヒットした。6分以上もあるのか、と少し身構えたが、サムネイル画像をクリックする。