オフサイドディレイ



オフサイドディレイ


常連客A


玲於奈さんが留学に行くことを、今、知った。僕はただの常連客の一人であり、玲於奈さん目当てでこのカフェに通っている人はたくさんいる。

通路を挟み、隣の座席でパソコンを触っているおじさんもその一人だ。会話こそ交わしたことはないが、毎日顔を合わせており、親近感も湧いてきた。彼も先ほどから肩を落としている。ドリンクを買いにいった際に玲於奈さんがいなくなることを知ったのだろう。

店を去ることになった玲於奈さんの報告は淡々としたものだった。「私、留学することになったのでお店を辞めることになりました」「えっ」「今日が最後の出勤日なんです。いままでありがとうございました」「そんな」「それでは、あちらでドリンクをお待ちください」といった具合だ。いつもは限られた時間で他愛のない会話をしていたが、今日はそれもない。レジを去る時、玲於奈さんが少し悲しそうな顔をした気がするが、それも僕の都合の良い勘違いだろう。

ふと顔を上げると、私服になった玲於奈さんが店内でバイト仲間に別れを告げていた。ああ、これでもう会えなくなるのか、と悲しくなる。その時、振り返った玲於奈さんと目が合った。すぐに逸らされる。そして、玲於奈さんは店内を出て行った。


常連客B


玲於奈ちゃんがこっちを見た。あれは最後に私に何か言いたいことがあったのではないか、と想像する。彼女はすぐに店内を出てしまったが、いますぐ追えばまだ間に合う。コーヒーもほとんど飲み終わった。すぐに店を出るべきだ。

椅子を引こうとした瞬間、近くのテーブルで放心状態になっていた青年が慌ただしく立ち上がった。呆気に取られ眺めていると、まったく減っていないフラペチーノをゴミ箱に入れ、店外へ飛び出していった。彼も毎日来ている常連客だ。おそらく、最後に玲於奈ちゃんに想いを告げに行くのだろう。

私は青年を止めるべきか考える。私ほど仲が良ければ話は別だが、ただの常連客が好意を寄せている店員を店の外まで追うのは一線を越えている気がする。私が右腕を上げて青年を止めたら、青年も正気に戻って走るのを辞めるだろう。

しかし、静観することにした。好意を抱き、それを本人に伝えることは自由だ。私もゆっくりと立ち上がり、コーヒーを捨て、店を後にする。急がなくも、青年が玲於奈ちゃんを引き留めてくれているだろう。青年が彼女に振られてから、私は声を掛ければいい。