アクセラレーター



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机の上に置いていたスマートフォンが振動し、少し遅れて機械的な音声で「らいんっ」と聞こえる。私は急いでベッドから起き上がり、既読を付けることなくメッセージの送り主を確認するが、先日から返信を待ち焦がれていた相手ではなく、学生時代に勤めていたバイト先《ムウビーム》の先輩からだった。


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「学生時代、なんのバイトやってたの?」と将来聞かれたとき、一番かっこいい答えはなんだろうと考え抜いた末、私は映画館でアルバイトをしていた。社会人になった今、「昔は映画館でバイトしてたんだ」と言っても、学生時代の私が想像していたような「えーかっこいいね」なんて反応は少なく、そもそも学生時代のバイト先を聞かれる機会も多くないが、私は映画館のアルバイトを選んだことを後悔していないどころか、過去の私を褒めてあげたいくらい、映画館での仕事が気に入っていた。


小さな映画館のため、業務内容はチケット販売、グッズ販売、ポップコーン作り、チケットもぎり、清掃と多かったが、《ムウビーム》では従業員はチケットさえ売り切れていなければいつでも映画を無料で見ることが出来るという福利厚生があった。都内の大手映画館でアルバイトしていたという大学の同級生によると、「従業員はいつでも無料」というのは稀であり、「お前はラッキーだな」ということらしいが、《ムウビーム》の支配人は「たくさん映画を見て、自分の選択肢を広げろ。若者の可能性は無限大だ」とよく言っていた。


その言葉に感化されたわけではないが、私は大学在学中、たくさんの映画を見た。1人で観ることが多かったが、ほぼ同じ時期に《ムウビーム》で働き始めた2歳年上の先輩、竹田さんと一緒に映画を観たことが一度だけあった。「はじまりのうた」という作品だ。



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シフトが組まれている通りに出勤し、映画が始まる前にポップポーンを作り、チケットをもぎり、映像のチェックをし、映画が終われば私が作ったであろうポップコーンが床に散らばっているを清掃したりといつも通りの仕事を終えた後、自宅に帰ろうと準備していると、私服姿の竹田さんが現れ、「これから一本みるけど一緒にみる?」と声をかけられた。

「なに観るんですか?」

「はじまりのうた」

いつもなら新たに上映が開始された作品はその直後に無料特典を使用して観ているのだが、「はじまりのうた」という作品に限っては、大学の試験が近かったこともあり、まだ観ることで出来ていなかったので、「ああ、いいですね。チケットまだあるかな」とチケット売り場に向けて首を伸ばすと、お客さんはいなく、支配人が一人でチケットを発券するためのパソコンと向かい合っている。「俺はポップコーン買っておくから」という竹田さんを置いて、私は支配人に「機械、故障ですか?」と声を掛けに行く。

「故障ではない。不調なだけだ。チケットが出てこないんだ」

「故障じゃないですか」

「すぐに元に戻るだろう」

「あ、ところで映画を観たいんですけど、はじまりのうたってまだチケットあります?」

「たしか売り切れてなかったはずだぞ。ただ座席の販売状況も出なくなっちゃってな」支配人がパソコンをポンポンと叩きながら、不服そうに漏らす。

「完全に故障じゃないですか」

「完全に不調なんだ。まあ売り切れてないはずだから、空いてる席で観てくれ」

「ありがとうございます」そんな適当でいいのか、と不安になりながらもお礼を言う

「そういえば、来週の飲み会来れるんだっけ?」

最近、新たなアルバイトが入ってきて、近所の居酒屋で歓迎会が予定されていたが、そうえいば支配人に返事のメールを返すのを忘れていた。「ああ、金曜日でしたっけ。行きます行きます」と直接参加する旨を伝えると、「二次会カラオケだから」と言われて私は少し憂鬱な気分になる。

そのあたりで後ろにお客さんが並んでいることに気が付いた。私は「それじゃあ」と断りその場を離れていくと、後ろから支配人が大きな声で「選択肢が増えるといいな。可能性は無限大だぞ」と近くにお客さんがいるにも関わらず叫んでくる。私は「どうも」と頭を下げ、「そういえばチケット発券できないのにお客さんどうするんだろう」と考えるが「まもなく、はじまりのうたの上映を開始します。チケットをお持ちの方は」どこどこまでお越しください、とアナウンスが聞こえてきたので、ポップコーンの会計を済ました竹田さんと合流し、入場口へと向かう。



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その映画を観た後、竹田さんはすぐに《ムウビーム》を辞めた。理由ははっきりしなかったが、支配人は「いい映画に出会ってしまったんだろう」と笑っていた。竹田さんは映画好きであり、《ムウビーム》以外でもたくさんの作品を観ているという噂を聞いたことがあったが、私は「はじまりのうた」がきっかけだったのではないかと疑っている。つまり、私にとってもそれほど思い出に残っているということだ。


アルバイトの先輩なんて辞めたら関係が切れると思っていたが、私は竹田さんは自宅が近所だったこともあり、一緒に映画を観る機会こそなくなったが、よく居酒屋やカフェに行った。更にそこで二人の共通の趣味がカメラであることが発覚し、私が大学卒業の為に《ムウビーム》のアルバイトを辞め、二年が経った今、一緒に東北旅行へ行くことになった。そして当日の朝、竹田さんから「起きてるー?」とメッセージが届くことで目を覚ます。現在の時刻を考えれば待ち望んでいた相手からの連絡ではないことは明白だったが、少し落胆してから「いま起きましたー。六時に東京駅で会いましょう」と返信送った。



5

東京駅に到着した私は、構内のあまりの複雑さに戸惑い、待ち合わせ時間に少し遅れてしまったが、時間通り到着していた竹田さんと無事に合流し、構内のお弁当屋さんで牛タン弁当を買った。今回、二泊三日で青森、岩手の観光地に行く予定だったので、行くことが出来ない仙台の名物を食べておこうという、という魂胆だ。


最初の目的地は八色センターだった。海鮮のテーマパークとも呼ばれる八食センターには多くのお店がさまざな海鮮食品を売り出しており、平日にも関わらずとても賑わっていた。人混みの中を歩きながら「ほんとにテーマパークみたいですね」と竹田さんに話を振るが、その返事は周囲の雑音に掻き消されてほとんど聞こえない。コンなんちゃら、と言った気がする。


八食センターで人が一層と集まっている場所があり、なにがあるのかと覗いてみると、そこはただの休憩所だったのだが、その中央に一台の大きなテレビが設置されており、サッカー中継が放送されていた。どうやら高校生の大会であり、東北地方の高校同士が対戦しているらしい。ふと、竹田さんの方をみると、興味深そうにテレビを眺めている。「サッカーとか好きでしたっけ」と声をかけると、「いや、サッカーはそこまで好きじゃない。ただ」と言いかけたところで歓声が飛び交った。急いでテレビを観ると赤いユニフォームを着ているチームが喜び、実況が「決めたのは九番のソメノ!三試合連続ゴールを決めました」とそんなにテンションを上げなくてもいいんじゃないか、と思う熱量で叫んでいる。竹田さんが「よし。行こう」と言い、その場を後にする。


八食センターの回転寿司で少し早めの昼食を取り、一日目の宿泊地である奥入瀬に向かう。質の高いサービスで圧倒的なブランド力を誇る総合リゾート運営会社が奥入瀬渓流沿いにホテルを建てており、竹田さんの強い希望によって一日目はそこに泊まることになった。八戸駅から送迎バスも出ており、一時間三十分ほどでホテルに到着するらしい。


車内では竹田さんと冬の東北旅行の準備の話題で盛り上がった。私は大量のヒートテックや雪道でも滑りにくい靴を購入していたが、竹田さんが旅行に向けて買ってきたのはフカフカの帽子と、何故かニューバランスのスニーカーだけだった。「なんでニューバランスなんですか?滑りにくいんですか?」と聞いても、「東北に行くんだったらニューバランスで歩きたかったんだ」という意味の分からない返事が返ってくるだけだった。


一時間三十分後、豪華なホテルに到着し、私たちはホテルが用意してくれいるアクティビティに参加したり、リンゴがテーマのビュッフェで夕食を頂いたり、氷塊に囲まれた露天風呂に入ったり、おしゃれなラウンジでおしゃれなオブジェを眺めながら冬の温泉を満喫して一日を終えた。寝る直前でメールが来てないか改めて確認するが、待ち望んでいる相手からのメールは届いていない。


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二日目、再びホテルのアクティビティを予約していた私たちは朝の雪山を歩いている。周辺にはアクティビティの参加者以外、人がいる気配がまったくなく、最高の気分になる。ニューバランスのスニーカーで私の前を歩く竹田さんは案の定、頻繁に転んでいた。


ホテルに帰った後は二回目の露天風呂に入り、チェックアウトをする。続けて、三日目の目的地である龍泉洞という鍾乳洞に行くために移動しながら、十和田市現代美術館に寄って写真を撮ったりして、二日目の宿泊地である岩手県に到着し、ビジネスホテルに宿泊する。この日の夜、サッカーの日本代表が試合があり、竹田さんも私の部屋に来て一緒にお酒を飲みながら観戦した。「この柴崎って人、かっこいいね。でも髭剃った方がいいのに」と漏らすと、「もみあげが長すぎるより良くない?」とよく分からない比較をされた。試合が終わり、竹田さんが自分の部屋に帰る。メールはまだ届かない。


三日目、私たちは三日連続での早起きに成功してバスで龍泉洞へ向かう。その道中、龍泉洞が「恋人たちの聖地」と言われていることが発覚し、少し気まずくなったが、その周辺で昼食を探していると、龍泉洞黒豚モツ煮込みなるものが名物らしく、竹田さんのテンションが上がっていた。


龍泉洞は素晴らしかったのだが、すぐに観光を終えてしまった。次のバスが来るまで二時間ほどあり、周りにはなにもない。仕方なくタクシーを呼び、三陸鉄道が走っている近くの駅まで移動することにした。あまちゃんのファンだったという竹田さんは、今回のプランで三陸鉄道に乗ること出来なくて悔しがっていたので、結果オーライでもある。


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迎車のタクシーが到着し、後部座席に二人で乗り込む。「岩泉小本駅までお願いします」と告げると、「かしこまりました。観光ですか?」とすぐさま質問が飛んでくる。さては凄い話すタイプの運転手さんですね、と私は思いながら「そうです」と返すと、それと同じタイミングで竹田さんが「違います」と言った。え、観光じゃないの?と横を見ると、竹田さんが慌てて「あ、観光です」と訂正した。


タクシーの運転手さんはその後も運転しながら、窓から観えている景色で観光案内してくれた。発車してから十分ほどは楽しく聞いていたのだが、気が付くと眠っていた、ということに目が覚めてから気が付いた。


「私もそうだったんですよ」竹田さんと運転者さんはまだ話してる。私は目をつぶったまま、二人の会話を聞き続ける。

「でもね支援してくれる人もいっぱいいたんですよ」

「素晴らしいですね」

「いやお客さんもそうですよ。こんな時期に観光に来てくれるだけで本当に嬉しいんです」

「いや僕なんか」

「いえいえ。私が嬉しいんです。あとはスポーツ選手ですね」

「えっ」

「東北出身のスポーツ選手なんかは震災後すぐ物資を持ってきてくれたんですよ」

「それって」

「嬉しいですよね。自分たちの仕事もあるのに、その合間を縫って来てくれて」

「あの、僕」気が付いたら眠っていた、ことに目を覚ましてから気が付く。


タクシーは停車していた。そして、車内には私一人しかいなかった。窓の外を確認すると、竹田さんと運転手さんが目線に地面の方に向け、なにやら話している。私は外に出ると、「おはよう」「おはようございます」と二人から声を掛けられ、「どうしたんですか?」と疑問を口にする。「すみません。どうやら故障してしまったみたいで」「あ、そうでしたか」「いま代わりのタクシーを呼んでおりますので、申し訳なのですが到着したり乗り換えて頂く感じで」そこで私のスマートフォンが着信があり、画面を確認すると私が待ち望んでいた番号が表示されている。てっきりでメールで連絡が来るものだと思ってので、油断していた。急激に鼓動が速くなる。「ちょっとすみません」とその場を離れ、電話に出る。


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電話を終えてタクシーに戻ると、竹田さんと運転手さんはまだ外で談笑している。その輪に加わった私は気が付いたら「故障じゃないかもしれないので、もう一度走ってみて頂けませんか?」と言っていた。竹田さんは驚き、「いやでもアクセル踏んでも走らなくて」と言い、運転手さんも「故障したことなんてないんですけどね」と申し訳なさそうにする。「故障じゃなくて、不調なだけかも知れないじゃないですか」「あ、それ」「とにかく、一回だけ。あの人の言うこと結構当たるんです」三人で車内に戻り、運転手さんがアクセルを踏む。


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岩泉小本駅で駅員さんから切符を買い、ホームに向かう。雪山を歩き回ったニューバランスのスニーカーで階段を登りながら、「あんな大変な環境を経験したんだから、この靴はこれからも無敵だ」とよく分からないことを言う。その直後、「ああ、会えた会えた」と呟き、壁に貼り付けられているポスターに向かってカメラを向けていた。